イスラーム以前の私の人生は、ある意味空虚なものでした。人生の意味も目的も見いだせないまま生きて来たのですから。私には自信もなく、社会への帰属意識もなく、何かが欠如しているという感じだけがありました。私は何かを探し求めていましたが、当時はそれが何なのかを知る術もありませんでした。
それは長い旅路の末のことで、時間を必要としました。神が存在するということは分かりましたが、自分がキリスト教徒であるということに、どうしても違和感を覚えました。私にとっては常に、神とはこの上なく偉大で大きな存在でありましたし、かれがどういった存在なのかと理解することは、私の限られた能力を超えたことでした。神とはいかなる人間とも比較し得ることは出来ないはずだからです。また神には制限がなく、お望みになる全てのことを成し得る全能者だからです。
私は長い時間をかけて、異なる宗教にも目を通してみましたが、イスラームを知るにつれ、それが完全なる真理であり、理にかなったものであることを確信するに至りました。イスラームは、私が常々想像していた通りの形で神について述べています。
私がイスラームで最も気に入っていることは、アッラーの愛と慈悲です。
私にとってムスリムであるということは、自分自身・友人・家族・社会全体と共に平和な共存をすることです。そして預言者ムハンマド(彼に平和と祝福あれ)のスンナに則った可能な限りの良き振る舞いをし、彼のように人々へ愛情や慈善、慈悲を示すことです。また、アッラーをご満悦させ、かれのお言葉に従い、かれのお赦しを請い願い、すべてにおいてアッラーに感謝することです。
イスラームは豊かな人生を与えます。それは人生に目的があることを気付かせ、心に平安と愛情を与えます。
イスラームは、現代社会と非常に関連性があると思います。世界には憎悪がひしめいていて、多くの人々はイスラームに誤解を抱いていますが、それはイスラームを間違った方法で示す私たち(ムスリム)自身のせいでもあります。私たちは平和的かつ忍耐と共にイスラームを示すべきなのです。
イスラームは多くのことを世界にもたらすことが出来ます。たとえば、それは慈善行為を非常に強調しますし、財産や物質的なことに貪欲であってはならないと教えます。また隣人や見知らぬ人に対しても愛情を示すこと、自尊心を保つこと、また自信や良きモラルとは身体を露呈させることではなく、それを覆うことによって得られるものだと教えます。
不幸にも、巷にはイスラームに対する誤解で溢れかえっています。たとえば、ムスリムの女性は抑圧されていて、男性の言うことに何でも服従しなければならない、といったものなどです。そのため、私の両親は私がイスラームに改宗したことについて快く思っていませんでしたが、彼らは私が改宗以前からずっとイスラームについての読書をしていたことを知ってはいました。
彼らは今なおイスラームに対して良い印象を抱いていません。それはメディアで喧伝されていることによる影響が大きいですが、自らの宗教において模範的でない多くのムスリムたちによる悪い行動のせいでもあります。残念ながら、私はそういった他者の行為の責任を負わされているのです。
両親は私を受け入れ、愛してくれていますし、私が彼らの家にいるときは私が食べることの出来る料理を作ってくれます。そういった意味ではイスラームに敬意を示してくれていますが、私が礼拝のために席を立ったりその場を去らなくてはならないことを、恥ずべきことだと感じています。
ただ、私が彼らに孝行し、思いやりを見せていることについては感心しています。
私の友人たちの何人かは、改宗したことを知ると嫌悪感をあらわにしました。それらの友人たちの一部とは、残念ながらもう関係が続いていません。
また一部とは未だに関係が続いていますが、そうすると気まずい雰囲気になるため、彼らとはあまりイスラームについて話すことはしません。ただ、向こうから色々なことについて聞いてくることは多々あります。
両親もイスラームについて話すことには積極的ではありません。インシャーアッラー(神の御意であれば)、私は彼らが疑問や好奇心を持ち始め、ムスリムになることを祈っています。
それはアッラーに委ねられたことなのです。私は両親に出来る限りの孝行をし、敬意を示し、良い振る舞いをするよう心がけています。
どうやら私の親戚は、私が改宗した事実を奇異なことだと受け止めているようですが、彼らはそれに対しては直接何も発言していません。
私はアラビア語が理解出来ないこと、またイスラーム諸国にいるときでさえ、いつでもどこでも自由に礼拝出来ないことに欲求不満を感じています。
慈善・愛情そして寛容心を示す同胞たちは、私に大きな影響を与えました。
人生の目的を見出すことが出来なかったこと、虚無感で一杯だったこと、心が平穏でなかったことです。
毎日の礼拝などによって、私は全く新しい人生を受け入れました。もちろん、許容される範囲内において、私はそれ以前の趣味などを今でも楽しんでいます。
私にとっては預言者ムハンマド(彼に平和と祝福あれ)を信じることは難しいことではありませんでした。彼による行動の論理的な部分だけでなく、人々に対する理解と愛情に溢れた振る舞い、そして人間だけでなく動物にも示された敬意について知ると、彼を信じることは至極容易です。
現在の世界情勢は、私の目を覚まさせるという意味で影響を与えました。
ええ。私はイスラームへの改宗前はヒンズー教、仏教、ユダヤ教について調べていました。自分の宗教と他宗教の全体像を理解するために、諸宗教を比較し、他宗教の知識を得ることは非常に関連性があると思っています。
私たちがムスリムとして、私たちの宗教を他者から理解してもらい、敬意を示して欲しいのなら、私たちも同様のことを他者にしなければなりません。
イスラームは平穏と調和を私に与えてくれました。それは、真理を見つけ出すことの出来た満足感なのです。
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